学歴コンプレックスの大学編入ブログ

 

こんにちは、でこっぽいどです。今回は僕が学歴コンプレックスに陥ってしまったことについてお話ししましょうか。

 

どうして学歴コンプレックスになったのか?

僕は元々中学三年生まで馬鹿でした。公立中学の平均点にも達していないレベルの。

しかし、当時の入試システムが、内申点は中3のみ反映されるということもあり

中学3年生からなら間に合う仕様になっていて、漠然と僕は中学3年生になったら

勉強がんばってやろうとだけ思っていました。

 

そんなことは誰しもが思うところなのですが、自分で言うのもなんですが、要領がいいのは自負していたところで、根拠のない、自分ならやれるという自信がただ漠然とありました。

 

親に頼みこんで地域にある進学塾に入れてもらおうとしましたが、まさかの入塾テストで門前払い、近くの個別塾から通うことにしました。

 

入塾テストに落ちたことが悔しくて悔しくて、それは勉強しましたよ。

 

なんでこんなに勉強するんだろうってくらい、中学3年生でやっと勉強しました。

 

授業中はほとんど寝ていたので、はじめのはじめからしましたし、なにより苦戦したのは英語と数学、いや理科社会も苦戦しましたか。

 

数学は計算ミスしてしまうわ、英語は単語から覚えていかないとで、それはそれは死ぬほど努力しました。個別塾でも馬鹿扱いされた俺が最初の中間テストでとった点数は5教科で420点程度。クラスで4番目くらい。

 

中2の最後のテストで300点くらいでしたから、120点も伸ばしたことで周りは驚いてましたよ。でも自分では少しはほっとしているものの、なぜだか悔しい思いをしたような気がします。そもそもその時点では単元を理解していたわけではなくて、点数をとるためだけに英語などに関しては、教科書の丸暗記で凌いでいた部分があったんです。

 

ただ漠然とそのままではいけないという焦燥感が目前に立ちはだかっていたことを鮮明に覚えています。

 

当時の勉強の仕方がわからなかった僕はただがむしゃらに暗記することをしていました。しかしそれでよかったと思っています。

 

まずは机に向かうことが大事で、正解だったし、そうやって暗記などをして勉強していくうちに、効率の良い勉強スタイルを確立していくことができました。

 

そもそも、なぜ当時の馬鹿な僕が勉強にここまで突然、情熱を燃やすようになったのか今でも本当に謎です。家系的にも、決して高学歴できているわけではなく、むしろ偏差値50もない人しかいません。父が関関同立程度であるくらいです。しかも1浪の。

 

でも、なぜだか嫌いな勉強に当時は死ぬほどの努力を捧げて、内申を捥ぎ取り、区内no.1の公立高校に入学を果たしました。偏差値70程度。

 

高校に合格したときはそれはそれは号泣しましたよ。ただただ努力が報われたと。

父親と見に行ったのですが、泣いて喜び合いました。

 

そんなこんなで、勉強のモチベーションは明らかに周りの人間よりも高かったです。

最初は。初めて受けたスタサポと呼ばれる高校の学力判定テストでは半分以下の順位でしたが、それは中学のお勉強のお話し。

 

高校範囲になってからなぜこいつらこんなに馬鹿なんだ?と思えるくらい模試の成績はよくて、入学3ヶ月で250位くらいだった順位が2位とか、高1最後らへんは1位とかになりました。

 

これはなんの嘘でもなく、本当のことです。

 

なんで、こんなに周りの人は馬鹿なんだろう。ここは本当に地域で一番賢い高校何だろうか。周りの奴等みんな地味でガリ勉みたいな顔してるだけで、見掛け倒しかよ。なんて思っていました。

 

そんなわけで自分自身は自信満々。成績に関しては。

 

もちろん志望校は家から通える京大。

 

勉強はじめてまだ1、2年なのにですよ。

 

高校二年生になって、理系に進みました。

クラスはとても楽しくて学年唯一の文理混合クラスでした。

文系のチャラい人が一挙に集まってきて当初は最悪だと思っていましたが、

中学時代といいますか、元々の僕の血が騒いだのか、すぐに仲良くなっていきました。

 

そこで彼女ができます。幸い、家が遠いので、週1くらいしか遊びませんでしたので

そこまで勉強に支障をきたすことはなかったですが、今考えるとここで、女の子を覚えてしまったのかな。

 

高校二年では遊びを覚えてしまったので学年順位は10〜でクラス2番目のポジションに最終的に落ちました。

 

高校3年生では成績順のクラスになるので、最高位のクラスになったのですが、

なんと僕はここで文転します。理系教科は得意だったのですが、京大経済に憧れたためです。文系科目受験の方が有利であると判断したためです。

 

ずっと京大に憧れていて、そのためにとずっと基礎を強化していました。

 

高校3年になります。ようやく京大対策をしよう。そう思いなして進級しました。

 

この時点で彼女とは受験のため別れを告げています。

 

この流れを見て、どうでしょうか。京大合格する流れでしょう。完全に。

 

話は変わって、僕の家庭は離婚していて、父親に引き取られたのですが、高2の頃からだんだん現れてきていたのですが、父親のDVが日に日に増していました。

 

姉はそれが原因でノイローゼになり、今現在も薬漬け、入院退院の繰り返しです。

僕もそれと同等の罵声、暴力を浴びていました。成績が良い僕のことはかなり気に入らなかったみたいで。大学の費用は全て自分で出せ。働け。バイトしろ。などが一番、心にきましたかね...。

 

それでもがんばって耐えていたのですが、高3に上がる春休みは、DVガひどくなりすぎて、寝ていてもバケツの水を浴びせられ罵倒されたり殴られたりで、命の危険を感じるレベルで、母親の元へ逃げるという手段に出ることになりました。

 

そこから、狂ってしまったんです。

 

家庭裁判を母親が起こしてくれて父親には、学費を払うことと僕には一切近づかないことを法的に約束させてくれたのですが、母親の方にも問題があり、

 

酒飲みで、不倫相手と生活しているという状況だったんです。

そして今もその家庭の中で生活しているのですが・・・。

 

そんな状況では、勉強に集中できるはずもなかったんでしょうか・・・。

 

こうやってなんだか、文字にしてみるといかに自分が壮絶な高校生活を送ってきたのか、なぜこんなにも勉強したいだけなのに辛い思いをしなければならないのか。

泣きたくなってきます。

 

高校3年生では、鬱状態と言っていいのかどうかわかりませんが、勉強することが1mmもできなくなってしまいました。高校も不登校です。

 

その時は気づきませんでしたが写真を見ると、高校1、2、3とやつれていっていました。顔が。

 

気がつくとずっと家で寝たきりの生活で。

 

女の子を覚えたのもあり、猛烈にやりたくなることもあって、そのへんの女の子を捕まえて、s⚪︎x三昧の日々を送り、学校は週に3回。テストは頑張る。

 

堕落して特進クラスの中ではほぼ下の格付けにまで下がっていました。

 

心の中ではずっと悔しかったです。

 

でも一度成績が下がると、自信もなくなって、頑張ることが怖くなっていきました。

かつての自分は主席でこんな奴らに負けてるのは、ただ努力してないだけで。って思いなしてなにもしなくなりました。

 

そしてセンター直前1ヶ月に関しては一回も学校に行かなかったです。本当です。

 

全く勉強もせずに模試も一度も受けずに、高校3年生ではほんっとうになにもせずに、1年ぶりぐらいに受けたセンター試験は77%

 

ものすごい後悔に襲われました。

 

もしこの一年きちんとみんなのように勉強していたらもっととれたのだろうか?

憧れていた京大へチャレンジできていたのだろうか?

 

77%では京大はまず無理ですし、はじめからもうやる気はありませんでした。

 

しかし、この77%を取れたという意外な結果が僕には、余計悔しくて。

 

高校1、2年の努力だけで1年なにもしてないのに、まさか、ここまでの記録を出せるのかって。

 

なんで俺は努力することができなくなってしまったんだろう。

俺ならまだやれるはずなのに。

努力することさえできれば。

素質は誰よりもある。

 

そんなことばかり考えてしまう。

 

そしてなんの対策もせずに学校の多くの人が受ける近くの難関国公立に

なんとなしに出して過去問はもちろん買わずに受験。

 

現役合格。

 

そこに春から通うことになります。

 

こんなに寝てたまま過ごした受験期間。

 

受験会場に行くことすらめんどくさくて、だるくて受けた学校。

 

こんなにも簡単に受かってしまうのか。

 

俺はもっとやれるはずなのに。

 

絶対に編入してやる。そう思います。